1989年11月9日に、ヨーロッパ亜大陸を2つに分けていた壁が、開きました。ベルリンの壁が壊れたということは、ヨーロッパの鉄の壁が消えたと同じこと、1990年のドイツ再統一に向けて世界が動き出した日です。
当時、テレビを見 ていても日々刻々と変わる情勢は感動的ですらあり、号外が出る度に未だ制服を着ているような年齢だった私も生意気に大人に混じり情報収集し…未だに自分で も謎ですが…、かなり正確にそのときの欧州の様子を把握していました。学校の授業にもそのくらいの興味を示していれば、今頃は違った道を歩んでいたかもし れませんが、そんなはずもなく今に至っています。
チャウシェスク?誰だ?と思っては調べ、ルーマニア?どこだ?と思ってはまた調べ、その時集めたヨーロッパの知識で今も暮らしているようなものですから。
今日のブランデンブルグ門は大変なお祭りの状態になり、世界各国から要人と呼ばれる人達が来るので、私も行こうかと考えたのですが、先のドイツの選挙の際にバスが通らぬ事態となっており、家に帰りたくとも帰れなくなった経験を踏まえ、それでも記念にと思い有名なチェックポイント・チャーリーに行くことにしました。
さぞかしノスタルジックな風情なのかと思いきや、すっかり観光地となっており、しかも今日はアメリカ兵、ソ連兵の制服の人達が小屋(検問所)の前に立っているというサービス付きでした。
↑ 私は、よくテレビなどで写るこの人がチャーリーさんかと思っていました。大きな勘違いです。
チャーリーは ただのC の意味、チェックポイント・A(アルファ)、B(ブラボー)の次のCだっただけです。日本語でしたら い、ろ、は、と名づけるようなものですね。
日本ですと何かにつけ戦後初の… 戦後の経済の… と枕詞になりますが、ドイツは再統一後、というのが枕詞になっているのを見かけます。欧州では、もう戦 後は終わっているのです。ということは、戦後の好景気を誰も夢見ず、新しい局面、社会主義経済がなくなり資本主義となったように、今度は自分達も社会シス テム、経済システムについて考え直すときが来ているという風向きをひしひしと感じます。
現在だったら経済学の学生でも社会主義、共産主義の欠点、行き詰る要因をさくさくと述べることができるように、将来の人達は、今の資本主義についても欠点 を述べ「崩壊すべくして壊れた経済の歴史」となっているかもしれません。私は本気で、「今の社会体制が崩壊したら、どうするか」と考えることがあります。 考えてわかるようなことではないのですが。
とにかく資本主義が行き詰っていることは確かですし、旧東ヨーロッパの人達が味わった「体制が崩壊する恐怖」を、今度はいわゆる西側諸国と言われている国の人達が味わう番かもしれません。世界は実に平等にできています…。
人間などというものは所詮歴史に翻弄されるもの。その歴史を作るのもまた人間ではありますが、人一人など木の葉のようなものです。踏まれようが蹴散らされようが空に舞おうが、関係ありません。人間誰しも土に返るその日まで、きちんと存在しなくてはならいのです。
どのチャンネルを回しても、テレビは壁崩壊の番組ばかり、ふと秋の夜長にそんなことを考えました。壁崩壊のニュースは、今も感動的です。