日本に戻ってから1ヶ月が過ぎようとしています。知人・友人やお客様方から先の東日本大震災の地震が発生したときの様子や、またその後何週間もの間、関東でも余震や停電などの様子を伺い、心が締め付けられるばかりです。
私は、長い目で見れば人間、あるいは人類と言われている存在は、大きな存在からすればみな平等だと思います。自然災害や人による破壊(戦争)の類は、地球上どこにいてもいつ、誰がどこで被害に合うかわからず、そういう意味でみな平等だと思います。
知らない国で洪水が起こり、ただ単純にまぁかわいそうと、または遠い国や昔の戦争について、へー大変だね、自分の国は安泰だけどねとは簡単に思えないように(そんな人もいないとは思いますが)、そこにいて被害にあっていたのは自分かもしれないし、自分の国かもしれないのです。
普段の生活が、普通に営めるということもありたがく、恵まれていることです。それがたった1日で失われることもあるのですから。
もし、本当に人が長い歴史の中で平等に災害に合うのなら、誤解を恐れず言えば、私は今回の東日本大震災が発生した日に、日本にいたかったと、そう思いま す。そう表現するにはまだまだ地震発生から日が浅く、適切ではないかとは思いますが、自分の人生の中でいつか大きな災害にあうなら、日本がよかったと、そう思うのです。
自分が日本にいたからといって、どなたかの役に立つわけでもないし、何かの助けにもならないのですが、日本にいれば「帰宅難民」と呼ばれた方々のためにカフェを夜通し開け、飲み物や軽食、お手洗いなどはご提供できただろうと、家具を片付ければ仮眠の場所くらいは用意できただろうと、本気で思います。
ただ残念ながら私は日本にいなくて、何をしたかといえば安全なドイツからインターネットで日本に寝袋たくさんと水をお送りしただけなのです。
ただ…水の総額は、今となっては誰にも言えません。正気だったら絶対買わない、値上がりした水の金額です。記憶を抹消したい金額の水です。自分のためだったら買えないです本当に。でも何かしたかった。
そのように3月のことを振り返ってみますが、それでも時間は流れていくものです。お陰さまでカフェ・アカルタマもゴールデンウィークの前には再開し、気がつけば閉店の6月5日まであと1ヶ月もなくなっていました。6年前のオープンも大変でしたが、クローズも大変なんだと閉店するにも学ぶべきことがたくさんあるんだなぁと妙に感心する毎日です。
ジュエリー・アクセサリーは引き続きどこに行っても作っていきますが、カフェは本当にあと1ヶ月弱、これからもどうぞよろしくお願いいたします。