🇩🇪 多彩で多色、カオスで雑多なドイツの日常から時事のテーマも気ままに綴る身の丈自由帳 🇪🇺

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ドイツの西側 Vol.2

by Jade

私の友人の中に90歳になる方がいます。その人が若かった頃というのは、簡単にいえば今とは全く違う時代なわけです。

戦争でシベリアと南太平洋の両方をくぐり抜け日本に帰って来たその人は、私などが思っていたよりも遥かに「すごいな、その人は国の英雄じゃないか」ということを、ヨーロッパの人達の賞賛で気づきました。本当にその通り、今ある平和というのは、ただそこにあるのではありません。その方やの同僚や、沢山の犠牲となったたくさんの方々の上 になりたっているからです。でも不遜な言い方になっては失礼ですが、正直に申せば私はその方の若い頃の話を聞くのが、とても好きなのです。

彼(と言っては失礼かもしれませんが、でも心の友なので大丈夫です)は、戦後の日本でインテリアのお仕事に就かれました。1950年代はじめの頃、そこで初めて行かれ た出張がケルンとデュッセルドルフだったそうです。展示会に並ぶ商品は日本ではかつて見たことのない、色とりどり鮮やかなインテリア用品、雑貨小物が溢 れ、同じ戦後の時代にどれほど感動的だったかということが、お話の中から本当に伝わってきました。彼の当時の一番の感動はカーテンと、カーテンを結ぶ紐で、その素材と色のバリエーションの豊富さには、どれほど「どぎもを抜かれた」か、衝撃的で驚きだったか想像に難くありません。

その展示会の合間に彼が訪れたケルン大聖堂の話を聞きながら、私はいつか行ってみたいとずっと思っていました。その大聖堂をまだ見ぬ私にもわかるように、彼はとても丁寧に教えてくれました。

「ケルンの大聖堂は、まぁ言ってみれば浅草寺だ」。

わかりやすいです。

「その周りに放射状にみやげ物やが並ぶ道が伸びている。仲見世の商店街ってわけだ」。

本当にその通りでした。脱帽です。というと、そこに流れているライン川は江隅田川ってところでしょうか。人って本当にすごいです。国や文化が違っても、不思議と同じように考え、街を作っているのですから。

ケルン大聖堂はドイツでは1、2を争う重要な教会のはずですが、大きさもフランス・パリのノートルダムやイギリス のカンタベリーのものよりも大きいような気がします。そんな大きな大聖堂の、「どうしてもあの教会の塔に登りたい」という私のわがままに、地元に住むこちらもまた大切な私の友人が忙しい中、付き添ってくれました。自分も初めて登ると一緒に来てくれた友人に感謝です。本当にありがとう、です。

↑ 大きすぎて至近距離ではカメラに納まりきれません。

↑ 塔の上に登るのも、もちろん徒歩です。
もうたまりません、自分の息切れ具合が。

↑ 「ローマ人の街」という感じが、未だたっぷり残っています。

彼がこの日記を読んだらへへへ、と一番笑ってくれると思うのですが、彼はPCを使いません。絵はがきを彼に出すために購入し、つかの間のケルンでの時間が終わりとなりました。
私にとってはケルンでの一番の目的、大聖堂が見れれば大満足です。市内は「要再訪」ということで心のカレンダーにでも記載しておきます。もうこれで何ヵ所の「要再訪」ができてしまったことか…次回はケルンの水を見に行くのも良いかもしれないです。あとは念願のライン下りです。

ちょっと疑問に思ったことがあるとすれば、どうして「地元の人」というのは、その土地にあるタワーとか塔とかには登らないのでしょうか…まるで東京タワーのようですです。それも洋の東西とか関係ない人の不思議さです。どこに住んでも人は人、同じってことですかね。

…さらにつづく

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