🇩🇪 多彩で多色、カオスで雑多なドイツの日常から時事のテーマも気ままに綴る身の丈自由帳 🇪🇺

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Philippines フィリピン

by Jade

小学校に入学するかしないかの年の頃、家族に連れられて私はフィリピンに行きました。滞在したのは首都のマニラだけだったと記憶しています。

自慢にもなりませんが私には2歳になる前の出来事の記憶もかなり残っています。それが不思議なことにフィリピンのことは少ししか覚えていません。たぶん子供ながらにかなりインパクトがあったので、衝撃的だったことだけがインプットされたのかと自分では分析しています。世の中には「違う国」にというものがあるんだということを、初めて自覚して滞在したのが、私にとってはフィリピンだったのです。

まず行く前に予防接種をしました。そして、水を飲んではいけないと固く言い渡されました。
予防接種は嫌いでも受けなくては渡航することができませんが、水は飲むなと言われると飲みたくなるのが子供です。従姉の注意を振り切り、私は水を飲むだけでなく氷まで食べました(お腹は大丈夫でした)。私は胃腸は丈夫なのです。

そしてどこかの教会にあるアメリカ兵の方々の墓地。緑の芝生に真っ白な十字架や六芒星が無数に並んでいました。その日の夜からしばらくの間、私はこの墓地の夢を見続けました。夜中に目が覚めても、墓地が迫ってくるのが見えました。これには子供ながらかなり参りました。

マニラの大通りで車が信号でとまると、子供達がすぐに駆け寄ってきて窓を洗っていました。自分と同じくらいの年の子供達がおもちゃやおかしを売っていました。おもちゃを差し出されても「一緒に遊ぼう」と言われているのではないことは、子供の私でもわかりました。自分が幼稚園で遊んでいるだけの、阿呆な餓鬼に思えました。歩道を渡る信号を待っているとき、駆け寄ってきた男の子が売っていたおもちゃを母は買い、このシンプルなおもちゃはだいぶ長い間、うちに飾ってありました。

とにかく、とても暑くて室内はどこも天井から扇風機が吊らされていて、ゆっくりと回っていました。天井がとても高く見えました。

多分その後の人生の基礎となり、私にとって生まれて初めて「日本で普通なことは、別の国で普通だとは限らない」と自覚したのがフィリピンでした。子供ながらにかなりのインパクトだったのだと思います。

あれからだいぶ時間が経ちました。マニラが大発展を遂げた様子がたまにテレビに映ります。あの名前も覚えていない教会とアメリカ兵の方々の墓地や、学校に行かずに仕事をする子供達のことが、いつも一瞬頭によぎります。

もうすぐフィリピンの大統領選挙。投票日を間近に控えた地元のニュースがテレビで流れると、私は遠い日のマニラの記憶をたぐり寄せてちょっと物思いにひったって見ています。

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