一般的によくいわれる通りかと思いますが、日本の人たちは血液型についてとても詳しく、日常会話に普通に話題にのぼったり占いになっていたりとかなり生活に浸透していると思います。
私が知る限り、ヨーロッパ内では血液型が話題になることは、まずありません。自分も誰かに血液型を聞いたりしませんし、聞かれたこともありません。たぶんですが、もし血液型はなんですかと質問したら「なんで?」と、なぜ質問するのかと訝しむ逆質問が返ってくるのではないかと思います。
そんな私の周辺の話ですが、先日は知人たちと病気について話をしていたら血液型の話になりました。4人いましたが、正確に自分の血液型を知っているのは私だけでした。AとBと…あと何があるっけ?という程度です。
私はなんで自分の血液型も知らないの、と言いますが、彼らに言わせると医者でもないのに血液型知ってどうすんの、ということになります。
「たとえば病気とか怪我とかで病院に運ばれて手術するときとか」と答えると
「だってその都度病院で血液型が何型か検査するでしょ」
確かにね。
これは日本の人たちの学歴の話と同じ減少なように思います。
その話題の先の「だから何だ」がない話、あるいはただ興味がない話なだけです。
「うちの子のね(あるいは私はね、僕はね)、どこどこの何大学に行ったんですよ。」
「ほう」(んで何)
↑これと↓
「私の血液型、何々型なんだ」
「ほう」(んで何)
とても似ています。だから何?の世界です。
「だから何だ」の先に興味が広がってこそ会話が成り立つと思うのですが、ヨーロッパの人たちにしてみたら、まず興味がないテーマの事実1つをぽんと出されても、それはただの何も生み出さない言葉の序列、進展のさせようがない話題、つまり「だから何なんだよ」それだけなのだと思います。しかも、血液型など身体の健康に関わる話題も宗教や食生活と同様、かなりプライベートな事柄なので、日本のように気軽に誰にでも質問するのとは少し違うカテゴリーだと思います。
日本の人たちが興味があることと、ヨーロッパの人たちが興味ないのと、良い/悪い とか 正/誤 のようなものではなく、ただ「違う」、それだけの話です。
誰だって、自分が興味がなく知らないことについて話を振られても苦痛でしかないのは、世界共通かと思います。
私自身は自分と家族の血液型こそ知っていますが、とくに他の人たちの血液型に興味はありません。
ただ先の話に戻りますと、自分の血液型さえよく知らない人たちというのは自分の家族の血液型も知らないのです。薬剤師の知人が自分の子供が病気で入院していても、子供の血液型は知らないと、ちょっとこれは意外だったけど。彼女からも典型的な答えが返ってきました。
「生まれた時に調べたのが間違ってたらどうすんの。必要なときはいつだって調べるのが病院でしょ。」
…たしかにね。
まぁ私もドクターではないので…知り合いが自分の子供の血液型を知らなくても、まぁそんなもんかな。
「だから何だ。知ってどうする」の境地です。
後日談:血液型の話は、私はあまり血液型占いとかも信じていないのですが、興味がなさすぎて日本の方からお叱りを受けたことがあります。「日本では自己紹介で血液型を言うことだってあるんですよ!」
…ちょっとムリムリ、と思い、血液型の話題が私はますます苦手になりました。興味がないんだってば?